リュック反対にしていい?と聞かれて、裏表のことかと思ったら上下のことで、弁当がひっくり返った話


この秋、アーネ(8才)とジージョ(4才)を連れて、埼玉県にある森林公園に出かけたときのことです。
公園に向かうバスで二人掛けの椅子に三人で座り、リュックを足元に置きました。ただ、どうにもアーネの足の置き場のぐあいが良くなかったのか、アーネが私のリュックを指して、

「リュック、はんたいにしてもいい?」

と聞いてきたので、「いいよ」と答えるやいなや、豪快にリュックの上下をさかさまにしたのです。
リュックのなかには公園で食べるための弁当が入っていたので、思わず「アホッ!」と言ってしまいました。
そしてこの「アホッ」と言われたアーネの顔を見た瞬間に、「やってしまった」と反省したのです。


「さかさまにしていい?」の「さかさま」を、リュックの向きの裏表のことと私は思いこんでいましたが、アーネは上下さかさまを意図していた。
弁当が入っているのだから上下さかさまなどあり得ないと思いたいところですが、これは忘れている可能性が高い。自分で弁当を入っているリュックを持っているならまだしも、弁当を入れたリュックは私が背負っていたものでした。

思いこみのディスコミュニケーションと言うと大げさかもしれませんが、こういうことはプロジェクトを進めていればよく起こることです。

その日の夕食、ジージョに森林公園から家までどんな交通手段をつかって帰ってきたかを、どのくらい覚えているか確かめたくて聞いてみたところ、アーネが先に答えてしまいました。

「これはジージョに聞いとるんや」と言うと、アーネは、

「ジージョが答えて、アーネは答えちゃだめって言ってないよ」

と言うのです。リュックの一件があったからか、これを屁理屈であるとか、空気読めよとは思いませんでした。
会話が行われている「向き」、文脈などで察することはできるようになりますが、私の意図を発話前に読むことなど難しいですし、私がジージョに話しかける前に、いちいち発話のルールをその場にいる全員にしておくのはもっと難しい。というか、そんなこと一々やっていられない。話が進みません。

でも、こういうことは大人のプロジェクトで、本当によく起こり得ることです。
だからたいそうなプロジェクトであればプロジェクト憲章をつくろう、ルールをつくろうということになるわけですが、プロジェクトメンバーが身近な存在であればあるほど、そうしたルールなど無用であろうと思ってしまいます。「私たちのコトバ、通じ合ってるよね」と確認しようとすら思わない。通じ合っていることが、無意識の前提になっている。

プロジェクトを始める前に、こうした暗黙の了解、無意識の前提は一度確認しあっておくべきだなと思わされた一日でした。

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