アーネにとって手紙は「つくる」もの ~動詞を変えてみる

アーネは「書く」ということがあまり苦にならない性質(タチ)のようで、私へのメッセージや日記、アイドル戦士ミラクルチューンズの『天マデトドケ』の歌詞、ぬいぐるみを使った保育園ごっこの保育日誌、三重の祖父母への手紙などをちょこちょこ書いています。


祖父母への手紙はよく書いていますが、アーネが4才くらいのころ、「てがみをつくろう」と言ったことがありました。

手紙は「書く」もので、「つくる」ものではないとつい思ってしまうところですが、「動詞」を変えてみるのは面白いと感じました。

書くというと字や絵くらいしか表現の手段がありませんが、つくるというとシールを貼ったり、くり抜いたり何かを重ねたりするというふうに手段が増えてきます。

書くものが鉛筆と紙という道具をつかうのに対し、つくるものはそれに限りません。書く対象は紙ではなく、箱や他の何かでもいいかも知れない。

素材が変われば表現も変わってくるというのは、貴重な羊皮紙に文字をたくさん書き込みたいがために、書体が文字の傾斜や丸みをもったものから、それらの要素を削り、だんだんと行間の狭い書体に変化していったことからも、新しい表現を生む可能性があります。

こんなことを妄想しながら、新しいサービスを考える時や既存のサービスを変革したい時は、動詞を変えてみるいいんじゃないかと思いました。

そうした時期を経て、今アーネの書くものはもっぱら文字ばかりになり、「字を書く」ということからすればすごい進歩であろうことなのに、手紙を「つくっていた」頃に比べると少しつまらなく感じてしまいます。

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