「いのちの授業」プロジェクトのプ譜を書いてみる。

2018年6月11日に、一般社団法人エンドオブライフ・ケア協会さん主宰の、オープンプラットフォーム「いのちの授業」プロジェクトの初回イベントに総評役として参加してきました。

イベントの内容はエンドオブライフ・ケア協会さんがいずれどこかで発表されるかも知れませんので、このプロジェクトが始まった背景や、今後どのような進め方が考えられるかということを、総評用に書き起こした「プ譜」を使って紹介します。((※「プ譜」についての詳しい説明はこちらの記事をご覧下さい)

プ譜で解説を始める前に、このプロジェクトの背景と経緯について説明します。
このプロジェクトの背景には、エンドオブライフ・ケア協会さんが一貫して提唱・実践を続ける、
超高齢少子多死時代の問題があります。超高齢少子多死時代では、望まない医療、医療介護職の疲弊や離職、家族の介護と仕事の両立(果ては介護離職も)、経済的困窮など、苦しみを抱えた人が増えます。
しかし、そのすべての苦しみを解決することはできません。
この苦しみに対処する方法を、エンドオブライフ・ケア協会さんでは専門職を対象にした講座を提供する一方、専門外の人びとに対しては、同協会理事の小澤竹俊先生が2000年から小中高校を中心に、「ホスピスから学ぶいのちの授業」を行っていらっしゃいました。

しかし、このままの歩みでは来たる超高齢少子多死時代に苦しんでいる人に対し、どのように関わってよいかがわかり、それを実践できる人を増やしていくことができない。

そこで、「ホスピスから学ぶいのちの授業」をコアコンテンツとして、子どもから高齢者まで、色々な場所、条件下で、誰もが「レジリエンス」について学び続けることができるオープンな環境、コンテンツづくりを行いたいと考えたという経緯がありました。

さて、このような背景と経緯のもと立ち上がった本プロジェクトのプ譜を、私は下記のように記述してみました。

※見にくい場合は拡大してご覧下さい

プ譜とは、姿かたちのないプロジェクトというものの、目標や施策、所与のリソースの関係性を可視化したもので、諸要素のツジツマが合っているかといったことの確認や共有。プロジェクトメンバー間の相互理解を促すためのツールです。

このプ譜は、私がイベントのスライドを拝見してつくったものであり、制作中にエンドオブライフ・ケア協会さんの監修を受けているものでないことを予めご承知おきください。

このプ譜では、「いのちの授業」プロジェクトが目指すゴール(獲得目標。※左上の項目)を、『全国に「いのちの授業」プログラムが広がっている」とし、その勝利条件(目標が成功したかを判断する基準)を、「誰かが苦しんでいれば、どのように関わって よいかがわかり、実践できる人が増えている」としました。

このような状態をつくるには、いち早く「いのちの授業」プログラムが実施され、その効果指標と事例をつくり、それを他の自治体や団体などに展開し、そのための活動資金を得ている必要があります。(これらを「中間目的」と呼びます)

これらの中間目的を果たすために、諸施策があります。
いのちの授業が色々な場所で実施されているには、これまで行われてきた「学校の授業」以外の場でも行われている必要があるでしょう。
もちろん、学校の授業と同じ環境をしつらえることはできますが、それはどう考えてもムリがある。
静かな教室で40分の授業を1回で行っていたものを、屋外で5分を8回で行うフォーマットがあってもいいかも知れません。
それと関係して、横展開をするための事例も、フォーマットが多様であった方が展開の可能性が拡がります。それは、一部の医療・介護の専門家でなくても。また、30人を前にして朗々と話し、ファシリテートできる人材でなくても、このコンテンツを展開できるよう、味は薄めずに伝えるべき内容を届ける工夫が必要です。
他にも活動資金を得るために、企業協賛や寄付だけではない、グッズの販売や投げ銭の仕組を考えてもいいと思います。

このプ譜はスタート段階の粒度の非常に粗いものであり、いってみれば何をやっても考えてもいい「無限定」の状態です。今回のイベントは、この無限定状態で何をやるかを考えるのではなく、このプ譜の左上にある「個々の環境や条件に合わせたプログラムの作成」についてのヒントを得るためのものとして開催しました。(下図のオレンジ色の部分にあたります)



次に、今回のイベントを一つの小さなプロジェクトと見立ててプ譜を書くと下記のようになります。



ここでの獲得目標は、『「いのちの授業」の様々な課題への適用可能性を知り、コンテンツのブラッシュアップに向けたヒントを得る。』とし、その勝利条件を、『参加者のみなさんが、『いのちの授業』を使った活動イメージを持つ。可能性を感じている』状態になっているとしました。

このプ譜の最も重要なポイントを一つ挙げるなら、中間目的に書いた「参加者のみなさんが、小澤先生に頼らないマインドセットになっている」になると考えます。

このプロジェクトは小澤先生お一人では成し得ない、より多くの、多様な人々に「苦しみに気づき関わり、苦しみをキャッチし、支えをキャッチする」ことの大切さをを伝えるために興ったものです。

小澤先生一人が、全国各地を飛び回ることにも、ラジオやソーシャルメディアで伝えるのにも限界があります。

では、イベント参加者のみなさんが小澤先生のような真摯な姿勢のなかにも笑いを交えた軽妙な講話スキルを身につければ良いか。小澤先生の講演を動画やVRコンテンツにすれば良いか。
このイベントの参加者のみなさんがリトル小澤になったり、小澤先生のコピーになれれば良いかと問われれば、それは違うと私は思います。

ここで私が一番心配するのは、みなさんがご自身と小澤先生とを比べることです。

小澤先生と比べて自分はうまく話せない。
小澤先生と比べれば経験の絶対量が少なすぎて、話に説得力がない。

そんな比較は、新しい苦しみをみなさんの中に生むだけです。
ではどうするかというと、小澤先生と比較をしないで済むようなフォーマットをつくれば良いと考えます。

小澤先生の表情、振る舞い、口調、態度だから成り立つフォーマットが、学校でのいのちの授業であるなら、参加者のみなさんのそれと、いのちの授業の核となる内容をを彼・彼女らに伝えるのに適した環境とフォーマットをつくることができれば、比較すること自体が無意味で、「こういう方法が(も)ある」ととらえることができるのではないでしょうか。

この意味で、実はエンドオブライフ・ケア協会としても、今回「オープンプラットフォーム」と謳っている中、イベント参加者のみなさんから、逸脱というか想定外のフォーマットが出てきたとしても、どこまで他者のアイデアや提案にオープンでいられるかが問われるのではないかと思います。

そしてこれは、小澤先生や事務局の千田さんとイベント参加者の皆さんとが、何かを教え教えられる関係ではなく、同じプロジェクトを進めていくメンバーであるということに他なりません。

このプロジェクトは関わる人々にとってすべからく未知なことであり、参照できる過去の事例もありません。
超高齢少子多死時代はこれから進んでいくものとして、終わりもまた見えない。
そこに無力さを感じるか、新しい地域社会のあり方や人と人の関係性のあり方の可能性を見てとるか、はたまたこれからそうした時代を生きる青年や子どものための礎になろうと思うか、人それぞれ感じ方・とらえ方は違います。
でも、その感じ方・とらえ方も、状況が変われば変化していることが往々にしてあります。

私自身でいえば、今年から班長となった自治会の新しいあり方を模索する良い機会と捉えています。
そして、離れて暮らす実家の両親のために。なにより、6歳と2歳の娘たちのために、このプロジェクトに関わっていきたいと考えています。

オープンプラットフォーム「いのちの授業」プロジェクトに関わってみたい。興味があるという方は、
ぜひ一般社団法人エンドオブライフ・ケア協会さんにコンタクトをお取りになるか、「いのちの授業」プロジェクトのFacebookページにコンタクトしてみて下さい。



また、プ譜について詳しく知りたいと思って頂いた方は、拙著をご覧頂ければ幸いです。

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