本当の冒険は、そんな力が自分のなかにあるとはそれまでまるで知らなかった、そのような力を投入しなければならない状況へ人を運んでゆく

今回の『予定通り進まないプロジェクトの進め方』の献本インタビューはまったく予定通りに進みませんでした。
第3回目の献本相手は柴田雄一郎さん。


柴田さんとは、私がプロマネという言葉を始めて知った、トヨタ自動車のGazooムラプロジェクトでご一緒したことで知己を得ました。
柴田さんは他にも政府(まち・ひと・しごと創生本部)の地域経済分析システム(RESAS(リーサス))プロジェクトといった、大企業や国のプロジェクトに携わられるだけでなく、湘南発のサンセットリゾートパーティーFreedomSunset Productionや、逗子アートフェスティバルなど、地域、アートの文脈で様々なプロジェクトを興し、進めておられる方です。



そんな柴田さんに、国プロから地域のローカルプロジェクトまで、いったいどのようにしてこれらのプロジェクトを進めておられるのかについて話を伺うつもりでした。

しかし、お会いして近況を話し始めた途端、

  • 「いま、ジョウモニズムがきてる」
  • 「テクノロジーに寄ったイノベーションワークショップは疑った方がいい」
  • 「子どもだけのフリマでも、アートフェスティバルのワークショップでも、親が子どもに口出ししすぎ」
  • 「プログラミング教室でも子ども向けアートフェスティバルでも、大人が子どもにお膳立てしすぎ」
  • 「技術に文化がついてこなければ、技術は役に立たない」
  • 「1日に全国のコンビニで廃棄される弁当の推定金額は5億円。このことに気づいたり、おかしいと思えたりする人としない人の二極化が進んでいる」
  • 「シェアリングエコノミーの普及が、居酒屋で余って食事を、"もったいないから食べて下さい"と、見ず知らずのおじさんに言える価値観の変化を起こしている」

などなど、のっけから話がグワーンと広がり、私もその話に魅了されてしまい、プロジェクトについて聞く時間がまったくありませんでした。
ただ、少々強引に柴田さんの話からプロジェクトについての教訓を得ようとするならば、アートフェスティバルなどで、親が子どもに口出ししすぎたり、大人が子どもに「大人が良いと思う機会や場」などをお膳立てしすぎ、という話から得られるものがあると思います。

ミヒャエル・エンデの書籍、『ものがたりの余白』にこんな言葉があります。

どうなるかすでにわかっている冒険は、本当の冒険じゃないでしょう。
本当の冒険は、そんな力が自分のなかにあるとはそれまでまるで知らなかった、
そのような力を投入しなければならない状況へ人を運んでゆくものです。

この冒険を、秘境や未踏の地など大げさにとらえるのではなく、「未知のこと」と捉えれば、子どもにとって初めてのことは、すべからく冒険と言えます。

この冒険を行うにあたり、「そんな力が自分のなかにあるとはそれまでまるで知らなかった、そのような力」を発揮するには、親があれこれ口出しすることも、お膳立てしすぎることも弊害にしかなりません。(適切な、ほどほどのお膳立てはあっても良いと思いますが)

拙著では「当人にとって未知の要素があれば、プロジェクトたり得る」としています。
プロジェクトも上述した冒険のように捉えると、冒険で死んでしまわないように情報収集や装備を整えることはするけれど、それらは本人が満足するほどまで充足することはありません。
どこかで自分はもちろん、プロジェクトメンバーの「そんな力が自分のなかにあるとはそれまでまるで知らなかった、そのような力」を発揮しなければならない。
その力の現れの一つがイノベーションであるとして、柴田さんの問題意識は、イノベーションを起こすよすがや種が技術に寄りすぎていて、もっと感性や文化といった方面からアプローチすべきではないかということを考えておられるように思います。

プロジェクトにおいても、ロジカルシンキングやミーシーなど、問題を細かく切り分け、誰もが納得するようなロジックをつくり上げようとする、機会的なアプローチが中心ですが、そうではない感性的なアプローチもあるのではないかという気がしてきました。

ちなみに、柴田さんからは、当初の予定通りのお話は伺えませんでしたが、紆余曲折を経て、地域のアートプロジェクトをテーマにしたミートアップイベントを開催しようということになりました。
詳細が決まり次第、あらためて告知致します。


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