プロジェクトでは空気を読むより、文脈を読もう
とあるプロジェクトチームで、こんな会話がありました。
プロジェクトマネージャー(以下、マ)
「このレポートよくできたね!これはおいておこう。」
プロジェクトメンバー(以下、メ)
「はい、わかりました!」
(と、レポートを、チームミーティング用のデスクに置く)
翌朝。
マ「おい、まだレポートがおいてあるじゃないか。片付けとけ」
メ「だって、おいておこうって言ったじゃないですか」
マ「おいとく、ってそういう意味じゃないだろ(ったく、このくらいの意味わかれよ)」
メ「(曖昧な言い方、すんなや)」
・・・小学校レベルの行為で恐縮ですが、こんな言葉の意味の捉え違いが、私たちの仕事ではときどき起こります。
このやり取りは、実際のプロジェクトではなく、私とアーネ(6才)の間で起こりました。
先日ブログにも書いた、学校ごっこの国語の問題がよくできたので、いつもは捨ててしまうところを、
「これはおいておこう」
とアーネに言って、その日の夜は寝ました。
翌朝になり、机に置いておいた紙を片付けるようアーネに言ったところ、
「なんで?おいておこうっていったじゃん」
と答えるのです。
日頃、片付けをしないアーネという背景もあり、ついカチンときて、「おいておくってのは、片付けないって意味とちゃうわ」と言ってしまったのですが、これは、アーネに分があります。
アーネ:(机に)置いておこう
わたし:(捨てずに)置いておこう
私の「置いておこう」は、片付けのことまで指示しておらず、(含まれていない)いつもは紙に書いたら捨ててしまうものを、まずは取っておこうという意味で使っていました。
しかしアーネは、これは片付けはしないで、しばらく机に置いておくのだ、と受け止めたのです。
大きな年の差はあるといっても、親子です。
同じ一つの言葉であっても、受け止め方が同じと思ったら大間違い。
こういうことが、私たちの仕事では頻発します。
この受け止め方の違いが原因となって、プロジェクトが炎上したり、人間関係が悪化したりする。
共通の言語、価値観をつくり、文脈を揃えていくことの重要性は字面だけ見れば、かくあるべしと思いますが、実生活でこの体たらくですから、よほど意を注がねばならないと思う次第であります。
以上、親バカが最前線からお伝えしました。
プロジェクトマネージャー(以下、マ)
「このレポートよくできたね!これはおいておこう。」
プロジェクトメンバー(以下、メ)
「はい、わかりました!」
(と、レポートを、チームミーティング用のデスクに置く)
翌朝。
マ「おい、まだレポートがおいてあるじゃないか。片付けとけ」
メ「だって、おいておこうって言ったじゃないですか」
マ「おいとく、ってそういう意味じゃないだろ(ったく、このくらいの意味わかれよ)」
メ「(曖昧な言い方、すんなや)」
・・・小学校レベルの行為で恐縮ですが、こんな言葉の意味の捉え違いが、私たちの仕事ではときどき起こります。
このやり取りは、実際のプロジェクトではなく、私とアーネ(6才)の間で起こりました。
先日ブログにも書いた、学校ごっこの国語の問題がよくできたので、いつもは捨ててしまうところを、
「これはおいておこう」
とアーネに言って、その日の夜は寝ました。
翌朝になり、机に置いておいた紙を片付けるようアーネに言ったところ、
「なんで?おいておこうっていったじゃん」
と答えるのです。
日頃、片付けをしないアーネという背景もあり、ついカチンときて、「おいておくってのは、片付けないって意味とちゃうわ」と言ってしまったのですが、これは、アーネに分があります。
アーネ:(机に)置いておこう
わたし:(捨てずに)置いておこう
私の「置いておこう」は、片付けのことまで指示しておらず、(含まれていない)いつもは紙に書いたら捨ててしまうものを、まずは取っておこうという意味で使っていました。
しかしアーネは、これは片付けはしないで、しばらく机に置いておくのだ、と受け止めたのです。
大きな年の差はあるといっても、親子です。
同じ一つの言葉であっても、受け止め方が同じと思ったら大間違い。
こういうことが、私たちの仕事では頻発します。
この受け止め方の違いが原因となって、プロジェクトが炎上したり、人間関係が悪化したりする。
共通の言語、価値観をつくり、文脈を揃えていくことの重要性は字面だけ見れば、かくあるべしと思いますが、実生活でこの体たらくですから、よほど意を注がねばならないと思う次第であります。
以上、親バカが最前線からお伝えしました。
文脈読もうぜ。 |