パパ、件(くだん)がするのは、予言?それとも予報?

アーネ(6才)が関心を持っていることの一つに、妖怪があります。
図書館で借りてくる本には、必ず妖怪本が混じっています。

ある時、借りてきた妖怪図鑑に、「くだん」という妖怪がいました。


牛の体に人の顔。
人面牛。
予言ができる、という特殊能力がある、とあります。

「予言」という言葉を初めて聞いたらしいアーネは、

「よげんってなに?」

と私にたずねました。

「予言ってのは、これからこんなことが起こるよ、っていうのをつたえることだよ」

と答えると、

「じゃあ、てんきよほうもよげん?」

と、聞き返したのです。

その場ではたしか、
「雲や風のうごきといった空模様なんかをみて、こういう天気になると思うよ、ってのを予報と言うんだよ」
と答えたと思います。

事象の観察やデータといった確からしいものの分析を通すのが予報。
そういう確かなものがない、感覚的なものを予言というふうに伝えたつもりですが、
こちらの解釈が妥当そうです。

『「予知」と「予測」及び類似の語に関する調査』
http://www.jma.go.jp/jma/kishou/books/kenshin/vol76p189.pdf


この言葉の正しさについては、いずれアーネ自身が解き明かすことを期待して、それ以上調べることをしませんでしたが、ここで考えさせられるのは、予言という言葉の説明を聞いたアーネが、

「それは天気予報と同じようなものなのかな?」

と、私の説明を鍵として、その鍵に合うような言葉を頭の中の金庫から取り出したことです。

説明に合致しそうな概念を探し出した、と言えばいいのか。
そこに多少なりともアナロジーが働いているのか。

私にはちょっとわかりませんが、この当たらずも遠からずというものを手繰り寄せたアーネの原○○力(primitiveな力)に、「ないなら使えるもので代用する」とか、「未知のものでも近しいもので理解していく」といった、プロジェクトに取り組むためのヒントを垣間見ます。

以上、今年も親バカが最前線からお伝えします。

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