パパとママは「パパとママのやく」をやったり、たいへんなんです。

アーネはずっとママゴトが好き。
保育園ごっこ、病院ごっこ、レストランごっこ。舞台を決めたら、
「アーネはせんせい。パパはむかえにくるパパ」
「パパはねつでたってことね。それでアーネはせんせいでちゅうしゃをうつってことね」と、
役を決めていきます。

だからかどうなんだか。
ある日突然、こんなことを言い出しました。

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パパとママはせんせいです。
せんせいのやくをやったり、
パパとママのやくをやったりたいへんなんです。
アーネとジージョはただのこどもです。
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私は今の仕事で時々、セミナー講師やワークショップのファシリテートをしており、妻は保育士をしています。
それを知っているアーネが私たちを「せんせい」という役をしているというのはわかるのですが、「パパとママ」も「役」と言われるとはまったく思っていなかったので、ハッとしたのです。

私たちは親という「役を演じ」ているというよりも、親と「同化」させてしまっているというか、そうあらねばならないと無意識のうちに思って行動しているかも知れません。
でも、親が「役」なのであれば、そこには同じ親でも様々なキャラクターがあったり、その役を演じるのに向き不向きもあるでしょう。

このように考えると、必要以上に理想の父親や母親を追いかけることはなく、「役」であればこそ、時にはそれにとらわれない、それとは違う「役」を演じたり、一時その「役」を止めて、素の自分に戻ることをすればいいのだと思うのです。
(これは父親よりも母親によく効く考え方ではないでしょうか)

本当に子どもは時に人間の根源的だったり核心的だったりすることを言い出すことがありますが、今回もまた一つ考えさせられた次第であります。


余談ですが、アーネのパパはせんせいです発言を受けてやり取りした対話の中で、私は、

「パパにとってはアーネも先生なんだよ」

ということを言いました。アーネが「なんで?」とたずねるので、アーネが教えてくれるんじゃなくても、アーネが字を書いたり、お話したりする時に学んでいるのだということを言ったのですが、

「ふーん、そうなんだ」

とあまり納得した様子ではありませんでした。

以上、親バカが最前線からお伝えしました。


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