モモちゃんのわたあめから学ぶ、子供の「表象のズレ」

娘が3歳になり、多くの言葉、表現を覚え、会話が成立するようになってきましたが、時々起こる娘のかんしゃく(?)、泣きわめきに翻弄されております。
こうした事が起こる理由は時と場合により様々ですが、子供が言葉を習得していく時期においては、親と子の『表象』のズレから生じるものが多いのではないかという仮説を、実体験を元にメモっておきたいと思います。


■憧れのわたあめを手にしたのに大泣き

娘のお気に入りの絵本に、「モモちゃんのおいのり」といいう一冊があります。


この物語にわたあめが登場してくるのですが、娘にはそれがとても美味しそうで、素敵な食べ物のように映ったようで、読後も「わたあめたべたいねー」とよく言っていました。

そんな折、近所の小学校で児童主催のお祭りが開催されることを知らせるチラシが届き、そこでわたあめの出店があると書いてありましたので、娘に伝えたところそれはもう楽しみにしていたのです。

そしてお祭り当日、会場の小学校に行き、会場内の商品引換券を握りしめ、わたあめのお店に勇んで向かいました。
ところが、念願のわたあめを手渡してもらっても、娘は怪訝な顔のまま食べようとしません。

それどころか、

「ももちゃんがたべてたのと、ちがうー!!」

と突然大泣き。


なにが違うんだ?と思って理由を聞いてみると、

「ぼうがないー!!」

と言います。

それでピンと来ました。

絵本の中のモモちゃんのわたあめには取っ手になる棒がついているのですが、娘が受け取ったわたあめには棒がないのです。

たしかに棒がついている。

お祭りのわたあめは安全対策で棒を刺さないとのこと。

自分がわたあめと信じて心に思い浮かべていたものと、わたあめと言って手渡されたものが違った時の娘の心中いかばかりでありましょう。

これが娘が味わった「表象のズレ」です。


■表象とは子どもが交わす世界との約束

表象とはWikipediaを引くと「一般には、知覚したイメージを記憶に保ち、再び心のうちに表れた作用をいう」とありますが、子供にとっては、

子どもが交わす世界との約束事

と言って差し支えないと思います。

子供は親がその事物を見て口伝えることで、その事物の名前を知ります。
そうする事で、子供と親の間で「表象の一致(概念と事物とが一致する状態。自分の考えは、自分の考えている当の事物と一致しているものと信じる)」が起こります。

子供はそうして自分の世界を認識していくのだと思うのですが、当然ながら親に比べて認識している事物の数が少なく、多様さもありません。

わたあめと言ったら、モモちゃんのえほんに出てくる棒の刺さったわたあめであるはずなのです。

棒がないわたあめはわたあめではありません。

この時の子供の心中は、

「なんで自分の知っているものと形が違うんだー!?」
「パパ、なんでわかってくれないんだー!?」

という気持ちで、かといってそれを十分に理解できる訳ではないため、泣いたり怒ったり押し黙ったりするのではないかと思うのです。


■世界の広がりと共に多様性を受け入れられるようにする

こうした表象のズレは、「わたあめには棒のあるものとないものがある。お店で売っている100円の駄菓子わたあめもあれば、縁日で売っている大きな1000円わたあめもある」といったことを子どもに体験させることで埋まっていくのだと思います。
(※埋まるという言葉自体は適切ではなくて、世界を広げることでズレはズレでなくなると言いましょうか。適切な表現が思いつきません。。)

ただ、この時に気を付けるポイントとしては、世界の広がりと共に自分の表象に固執するのではなく、その多様性を受け入れられるようにすることではないでしょうか。

表象というものは昇華して個々の価値観や考え方になっていくとなま解釈していますが、そうした自分とは異なる多様な価値観をすり合わせ、編み上げていく力を、スキルというよりはごくごく自然に身に付けておけるようにしたいと思う次第です。

以上、親バカが最前線からお伝えしました。


■余談だが

自分の思っていたわたあめを頑として食べなかった娘でしたが、妻がわたあめをちぎって丸め、
「あめだよ?」
と言ったところ、ペロペロ食べた。
(僕はこういう機転を身に付けないとダメだな。。)

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