フラガールで考えるメディアリテラシー

先月、家族旅行でスパリゾートハワイアンズに行ってきました。
フラダンスが趣味の妻のお目当ては、フラガールのダンスショーです。
この時、生で見たショーと、映画『フラガール』でも蒼井優さんが演じていたシーンから、メディアリテラシーについて考えさせられた事がありました。


夜のダンスショーを観覧する席は、2階中央ド真ん中。
悪くないポジションです。

まずはわが家で撮影したフラガールの動画をご覧ください。
(※お急ぎの方はこの動画の1分30秒頃から1分50秒頃までをどうぞ)




この01:40秒前後の、フラガールが舞台中央でストンと崩れ落ち(?)、腹筋だけでムクゥと起き上るシーンを見て、脳裏にあのシーンが甦ったのです。

それがこちら。




「あぁ、フラガールのあのシーンだぁ」

と、嬉しくなったのです。


ただ、不思議と感動というか興奮しませんでした。


むしろ、足を上げてターンするシーンの時に、

「あれ?蒼井優のほうが足上がってなかったか?」

などと映画のイメージの方が強く、かつ良く思い出されたのです。


■映像は人に与える影響が大きい。

本物を目の当たりにしながら、なぜ映画のシーンの方が印象が強いのか?
本物のフラガールと蒼井優版を見比べて考えてみましょう。


蒼井優の方がターンのキレがあるように見える。


蒼井優の方がターンのセクシーなように見える。


蒼井優の方がぐいぃんと迫力があるように見える。

映画の方のダンスシーンについて、色々なサイトを見てみると、フラダンスやタヒチアンダンスの経験者の方からは、
「肩がけっこう動いちゃってる」
「でも、ここまで踊れたら大したもの」
といったコメントがあり、経験者の目からすれば実はそれほどのレベルでない事がわかります。

ですが、生ダンスと映画を比べれば明らかなように、撮影するアングル、スピード(スローモーション)、カット割りなどの映像機器やテクニックを駆使することで、本物をしのぐほどの印象を映像はユーザーに与えることができるのだと思います。

ダンス玄人の目にはダンスのあらが目立ったかも知れませんが、私のような素人目には映画のシーンの方がずっと印象的だったのですから。
(※もちろん個人差はある)


■映像はよくもわるくも人を騙す

この映像が人に与える影響力は、ポジティブにもネガティブにも捉えることができます。

ポジティブな面は、ユーザー(映像を見る人)に対し、対象となる事物をより印象的に伝えることができるということ。

ネガティブな面は、対象となる事物が悪いニュースだった場合、その人なり会社なりに更に悪い印象を与えてしまうという事です。

一つ例を挙げましょう。

こちらは11月5日にワールドビジネスサテライト(※以下、WBS)で放映された、『マック赤字 危機は乗り切れるか!』という特集の1シーンです。





ここ数年のマクドナルドの変化を嘆くのはオーナーだけでなくアルバイトもだ、という事を伝えるにあたって、元アルバイトの方をマクドナルドの店舗を遠目に眺めるようにして映しています。
元アルバイトの方のコメントだけで良ければ、ワイドショー等でよく見かける、テレビ局の一室に椅子を置いて下のような環境でインタビューを行えば用は足りるはずです。

(※元映像はこちらから ⇒ ワールドビジネスサテライト マック赤字 危機は乗り切れるか!


WBSの映像は嘘ではなく真実で、何も問題がありません。
ただ、上の写真に比べれば人に与える影響は明らかに大きいです。


■映像の作り方を知れば、メディアリテラシーは上がる。

フラガールとWBSの事例から、映像はその撮影、編集技術や撮影する場所、音楽などを工夫する事で、より大きな印象を人に与えることができます。

ですが、こうした映像の作り方を少しでも知り始めると、映像の作り手が「こうした方が視聴者にもっと伝わるだろう」と考えたであろう工夫を知ると、これまでそのまま受け取っていた映像(及びメッセージ)を無批判に受け入れないようになります。

こうした情報に対する態度、情報に対する理解度のことをメディアリテラシーと言うそうですが、映像の作り方を知ると、間違いなくメディアリテラシーは上がります。

メディアリテラシーが上がれば、その情報の本質を掴むことができるようにも思います。

逆に情報を無批判に受け入れ続けることで、人は簡単に騙されもするし、本人の意図せぬ方向に価値観や意識を誘導されてしまう恐れがあります。

カナダでは「テレビがいかに人をだますか」を、テレビの側から情報開示していくことが法律で定められており、カメラのアングルによって、凶悪な殺人事件にも見えれば秒肢体にも見えるといったことを、テレビ局が放送を通じて伝えているそうです。

日本ではこうした教育が施されていないので、親としては自らがこうした事に自覚的でありたいと思う今日この頃であります。


ちなみに、このブログを書くに至ったのは下記のようなツイートがきっかけでした。

メディアリテラシーについて考えるキッカケ、示唆を頂いた長澤秀行さん、eiji azuma さんにはこの場で御礼申し上げます。


■余談だが

私がWBSの映像に上述のような違和感を覚えたのは、最近音量を消してテレビを見ていることが影響しているように思う。(最初はサッカーの実況と解説を聞きたくなくて消していたのだが、いつの間にか一人で見る時はそれが習慣になった)
映像は目だけでなく耳でも情報を受けているためか、より多くの情報を受け入れることができるのだと思うが、音を消すことで取得する情報が減ったせいか、普段は気づかなかった映像の作り方というか作者の意図のようなものを感じるようになった。

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