保育士の妻から教わった「叱りの文脈」

育児をしていると、「なんて自分は人間ができてないんだ。。」と、己の器の小ささとか、デキの悪さとかを思い知らされることがしょっちゅう起こります。

どこで聞きかじったのか、子供ができるまでは「怒ると叱るは違うよね」とか、「子供を叱れない親は駄目だ」とか、したり顔で言いたい放題言っておりましたが、いざ自分が親になった時のイケてなさに、地球の裏側まで穴を掘って出たい気分になります。

先日もこの「叱る」事について恥ずかしい体験と教訓を得たのでまとめておく事にします。


■赤ちゃんを叱るのって難しいなぁ。。

1才を越えた頃からでしょうか。
今まで何でもモグモグ食べていた娘の好き嫌いが出始めたのが。

私は小学校の頃から整理整頓が苦手で、そうじも嫌いという事もあり、できるだけモノを散らかしたくないのですが、娘の好き嫌いが出始めて以降、食べ残したものを床に落としたり、お皿から机に落としたものを手で叩いて潰してこびりつかせたりするため、掃除の手間がかかって仕方ありません。

パンくず程度ならともかく、トマト、海苔などはこびりつきレベルが高く、うっかり掃除し忘れていると、乾いてしまって相当ゴシゴシしないと取れなくなります。
(特にミニトマトの種の粘着度はすごい!)

先日も、以下のような娘の行動にイライラしてしまい、怒ってしまいました。


  1. 夕食を食べ残す。私「ちゃんと食べなあかんで」
  2. 皿を叩いて料理を食卓にこぼしまくる 。私「皿たたいたらあかんで」
  3. 食卓に落とした食べ残しを、近くにあった娘愛用の手ぬぐいで拭いて包んだ所、娘がその手ぬぐいを振り回し、食べ残しを床にまき散らかす。→私「あかんやろ!」 ⇒ここで娘が火を噴いたように泣く  。゜(`Д´)゜。ワァ~!


「アカンって言うのに、やめへんもんでやろ!」

と最後に一発やってしまった私は、結局娘が泣くのをしり目に掃除をし、台所に行き食器を洗い、風呂掃除をして風呂をくみ、後は妻にまかせたのですが、娘が寝静まってから、妻から今回の怒りについて指摘を受けました。


・・・気が重いですが、その内容をご紹介しましょう。。


私の理屈だと、
1 の食べ残しをしなければ、
2 で皿を叩いても食卓に食べ残しは散らからず、食卓を散らかさなければ、
3 の手ぬぐいで食べ残しを散らかす事もないという、
娘の行動のつながりというか積み重ねに対して怒っています。

ですが、娘の年月齢では、上記の「行動のつながり=1+2+3」は意識できません。



むしろ娘からすると、3の場面で自分愛用の手ぬぐいをつかんでいただけなのに、それを怒られたと感じ、その理不尽さに泣いたのかも知れないよ、と妻に諭されたのです。


・・・確かに。


「それと、叱るのはその瞬間で終わること」と、
最後の一言が余計であることも指摘されました。


・・・ぐうの音も出ません。


大人であっても、怒るのと怒られる理由がズレていては、到底納得できるものはありませんから、赤ちゃん、子供であれば猶更です。


心の中で娘に謝り、まだしばらく先の事になるでしょうが、「なぜ怒っているのか」という文脈を共有している状態でで、「怒る」を「叱る」に換えていきたいと思いました。。

それにしても、こうした保育士のスキル、知見は、もっと共有されればいいのにと思います。

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